さっきぃの休息所

大学生になり、今までの生活が一変する中で、自分が感じたことや悩んだこと、経験したことなどを綴っていきます。

まかり通っているものへの違和感

二十歳になった。

二十歳になると、いろいろなことが解禁されるようになる。

最も代表的なのはお酒の解禁であろう。自分もそう思っている。

 

 

二十歳になった日の夜。小さいながらも、誕生会が開かれた。

そこでは、両親と祖父母が僕の二十歳を祝ってくれた。おいしい仕出しとともに。

愛されてるな、と強く感じられる会であった。

 

いろいろな感情が押し寄せて、会が終わったあと自室で泣いてしまったのだが、それはまた別のお話。

 

 

この会で、僕は初めてお酒を飲むことになった。今年で90になる祖父が、お酒デビューを一番楽しみにしてくれた。

二十歳になった日にお酒デビュー。至極まっとうな話だと思っている。

 

しかし、これが”まっとうな話”ではないのが、”世間”なのである。

大半の若者は未成年のうちに”お酒デビュー”を果たす。そして、正しく法律を守っている人間を、「堅苦しい」「真面目すぎる」「めんどくさい」「珍しい」と嘲笑する。

 

自分はこの現象に小さいころから違和感を抱いている。

規則を守った人間に対して、さも、それが悪いことかのような態度を示してくる。それがかっこ悪いことのような態度を示してくる。そしてそれがその人との関係性を悪化させることすらある。

なぜ、大半の人が違反し、それが常識になるような規則があるんだろう?

なぜ、規則を守ることが不利になるんだろう?

それが本当に不思議でならない。

 

今後、この違和感が解消されることはないだろう。

しかし、だからといってこの考えを改めるつもりは毛頭ない。

この考えを曲げることは、僕のことを教育してくれた親や先生を否定している気になるから。

 

 

”大多数が容認している悪も、立派な悪である。”

ハライチ岩井さんが、ラジオ内でぽろっとおっしゃった言葉だ。

ご本人はもしかすると、あまり意識せずに発した言葉かもしれない。

しかし僕は、これを聞いたときに強く救われた気がした。

「あ、僕だけじゃないんだ」と、おこがましくも感じることができた。

 

 

違和感と闘い続ける日々は、これからも続くんだろうな。。