さっきぃの休息所

大学生になり、今までの生活が一変する中で、自分が感じたことや悩んだこと、経験したことなどを綴っていきます。

二度目の国際学会レポ ~発表編~【第3話】

ついに当日を迎えました。

 

僕の発表は12時45分から13時で、その日の午前のセッションの最後です。
セッション自体は11時半に始まるので、それまでに大学に到着していないといけません。

 

朝は8時ぐらいに起き、一時間ほどで身支度を済ませて、9時から練習を始めました。

同部屋の先輩や同期は気を遣って早めに退室してくれたので、声を出して暗記に専念できました。

 

余談ですが、原稿を覚える唯一かつ最高の方法が、何度も何度も声に出して、次々に言葉が出るようにすることだと思います。


いくら文字を目で追っても、頭に全く入りません。

 

今回学んだ暗記についての事項(自分の傾向を含む)を下にまとめておきます。

  • 暗記するときは声に出して読む
  • 暗記の過程で、「これは自分の英語ではないな」という部分は覚えにくい。
    (例えば、「You can see how much these errors have decreased by looking at these figures.(どれほどこれらの誤差が減少したかは、これらの図を見ればわかる)」という文を入れて本番も使ったが、こんな複雑な構造の文章は普段使わないし、覚えにくい。)
  • どうしても覚えられないパートは、「構造に分ける」「日本語で言いたいことを書き、覚える」などが効果的。なぜなら、「スライドを見ても何が言いたかったのか出てこない」という状況が発生するから。暗記がうまくいっていないとき、応急処置として、「スライドを見る⇒言いたいことを日本語で思い出す⇒それを翻訳するor英語の原稿を思い出す」という過程を経るはずだが、この日本語のパートができていないと何も対処することができない。
  • 一気に暗記するとイライラするので、一日A4一枚完全に覚えるなどして、計画的に進めるべき。本当にストレス。


さて、会場に到着し、少し後ろの通路側に着席しました。


私の出番はセッションの6人目なので、緊張状態で1時間半も待たないといけません。

この待ち時間の間不思議だったのが、脈自体は速くなりませんでした。ただ、ストレスからくる胃痛があり、やっぱり早く終わってくれと願うばかりでした。


待っている間、原稿を読むわけにもいかないので、パソコンを開いて論文を読むことにしました。
想定質問を何個か用意していたのですが、それについての回答を作っていなかったからです。

 

体感時間かなり長くなるかなと思っていたのですが、以外にも早く自分の出番が回ってきました。

 

 

いよいよ私の出番になりました。

 

このセッションについて軽く説明しておくと、国際学会にもかかわらずほとんど身内の日本人で、外国人は片手で数えられる程度でした。

また、チェアマンは私の研究室の教授でした。

 

発表前にチェアマンから発表者の紹介されるのですが、「この発表がこのセッションで最も大事です」とかいう変なフリをいただきながら壇上に上がりました。

 

最初に、用意していたネタを話しました。結果から言うと笑いはとれたのですが、あとからグダグダしゃべりすぎだと少し咎められました。まあ大した問題じゃないです。


また、途中スライドが最初に戻ってしますトラブルがあったのですが、そこで再び「Hello, everyone 」と最初の挨拶を言って笑いをとりました。


スライドのトラブルがひどかったのですが、何とか最後の結論のスライド以外を表示させて発表することができたので、壊滅ではなかったかなと思います。(結論のスライドが映らないのもだいぶ大きな問題だとは思いますが)

 

質問は、日本人の教授から一つだけいただき、簡単な英語だったのである程度回答することができました。

 

全体として、特に大きな失敗はなく、堂々と発表できたかなと思います。また、以前の国際学会と比較して、精神的にも能力的にも成長を実感できたので、自信につながる学会でした。

 

午後は、申し込んでおいた学会主催のツアーに参加しました。
バス移動だったのですが、荒い運転+舗装の行き届いていない道でひどい車酔いになってしまい、発表が終わった解放感はすぐに吹っ飛びました。最悪です。
やはり異国でバスは乗るべきではないです。

 

こうして、学生期間で最も大きな山場だと思っていたイベントを乗り越えられました。

 

この日は、次の日の観光の予定を立てて、日付が変わるぐらいに就寝しました。

 

 

 

二度目の国際学会レポ ~発表前日まで編~【第2話】

【9月8日日曜日(発表まで残り3日)】

この日は一日オフでした。

ただ、オフといっても発表の練習をしなければなりません。

昼まで練習し、近くのマクドナルドで昼食をとった後、再び夕方の4時まで練習しました。

 

4時からは登録のために大学に向かいました。

アイスブレイクのミニパーティが6時に大学で開かれるのですが、登録後その時間まで暇だったので、軽く観光をしました。

 

近くのパンテオンとナヴォーナ広場に行きました。

 

なんかところどころ大事なところが工事中でほんとに残念でした。。。

 

また、普通にそこら辺にある教会が豪華すぎてえぐかったです。

 

ちなみにミニパーティは飯もうまくないし知ってる人も少ないしで、すぐに帰りました。

 

【9月9日月曜日(発表まで残り2日)】

この日は学会初日ということもあり、開会式がありました。

開催場所はなんとオペラハウス。オペラも上演され、初の体験に満足でした。

ただ、上の階に行けば行くほど耐えられない暑さになったので、それだけは最悪でした。

 

 

その後、会場の下見をしました。サイズはぼちぼちって感じです。

 

特筆すべきことは以上です。

その後17:30から大学で用事があるのでそれまでホテルで練習し、大学で用事を済ませ、ホテルに戻りました。

 

【9月10日火曜日(発表まで残り1日)】

この日は朝から先輩の発表があったため、朝マックで朝食を済ませて大学に向かいました。

 

 

ちなみにマック、番号は出てきますが全然番号で呼ばれないし提供も遅いです。日本はすごい。

 

その後、他大学の知り合いの先生などと昼食をとりました。

大学の近くのピザ屋でトレビの泉からも近く、正直不安でしたが、全然悪くなかったです。

よくわからない名前のピザを食べました。

 

その後いったんホテルに戻りました。

 

午後は同期の発表があったため、再び大学に向かい、宿に帰りました。

 

夜はカルボナーラ発祥の店に向かいました。

開店前から日本人ばかりで行列ができており、僕らの前にも数グループいました。

開店後まったく案内されず、10分後に店のおばさんから「八時にこい」といわれたため、一度コロッセオを見て回りました。

結局席に座れたのは八時半でした。

 

飯はうまかったです。

 

 

ちなみにこれが店のメニューです。

 

ちなみに、次の日発表なのにのんきにカルボナーラ食ってて大丈夫かというご指摘はごもっともでして、待っている間原稿の画像を見て暗記していました。

 

そんなこんなで、7割ほどの暗記を終えて、当日を迎えました。




 

二度目の国際学会レポ ~移動編~【第1話】

現在、

現地時間2024/09/08(日)  8:31

日本時間2024/09/08(日) 15:31

です。

 

今回は昨日土曜日の移動~就寝をまとめようと思います。

 

関西空港

関空到着後、まずは荷物預けカウンターへ。事前にオンラインでチェックインしたため、長蛇の列を回避して済ませることができました。



その後、すぐに保安検査場へ。

サンダルを履いてくぐりましたが、金属探知音は鳴りませんでした。

 

その後、改札のようなところへ。

日本人とそれ以外で分けられていました。我々はパスポートをスキャンして顔写真を撮るだけでした。



今回乗る飛行機はEmirates航空の二階建ての飛行機で、最も大きい飛行機の一つらしく、待ってる人も多かったです。

 

 

ドバイ国際空港行き機内(10時間)】

機内は3列4列3列でした。我々は真ん中4列に4人・4人で座りました。隣が知ってる人だったので、とても気楽でした。

 

機内では主にダウンロードしていたアニメを見るか寝るかで、特に変わったことはなかったです。正直発表の準備をしようと思いましたが、集中できませんでした。

途中、隣の留学生に白ワインをこぼされましたが、それ以外は快適でした。

睡眠がとれるかも心配でしたが、リクライニングにするとかなり楽な姿勢がとれるので、しっかり眠れました。

下の写真は、二回出された機内食の写真です。

ここで、長時間フライトで役立ったものを挙げます。これらは手荷物から出しやすくしておいたほうがいいです。(手荷物は頭上にしまうので、手荷物から出すやつは別でまとめておいたほうが良いことを学びました。)

 

①ネックピロー

これは、背中に当てるクッションとして役に立ちました。首の部分にもともとクッション性のものがあり、枕として使用するとかえって変な姿勢になるのですが、背中に当てるにはちょうど良かったです。

 

②エアクッション

 

これは言わずもがな、敷くクッションとして使用しました。正直、しっかり使用すると座高の関係で首のクッションが肩あたりに当たってしまいよくなかったのですが、姿勢を変えたいときに尻とふとももの間あたりに当てると心地よかったです。

 

アイマスク(絶対必須)

④歯磨き一式(これは配布されてありがたみを知った)

⑤除菌シート(顔を拭いてた)

⑥フード付きの上着(寒さ対策+睡眠の質向上で必須)

 

これらにプラスして当然充電器やイヤホンも必須です。

 

また、あるとよさそうなものとして、フロントモニターにイヤホンをBluetooth接続できるものがあると、なおよかったかなと思います。備え付けの有線のヘッドホンは煩わしいので。。。

 

そして、ドバイ国際空港に到着しました。

 

ドバイ国際空港(待ち4時間)】

ドバイ国際空港では、四時間の待ち時間がありました。以前シンガポールに行った際、空港の充実っぷりに感動したので、どんなものがあるのかすごく楽しみにしていました。

しかし実際はブランド物の店とお土産店、わずかなファストフード店のみで、普通の空港と変わりありませんでした。

 

ドバイの外に出ることも考えましたが、朝4時から8時に外へ出たところで何もないので諦めました。

結局、大半を寝て過ごすことになりました。(正直気絶するように寝たので、下手に動くより良かったのかもしれません。)

 

唯一の発見は、自販機の水と店の水で値段に雲泥の差があることです。自販機はせいぜい100円程度でしたが、店だと500円ほどしました。許せません。


余談ですが、ドバイ国際空港でも保安検査があり、ここではサンダルの金属が引っ掛かりました。

統一してくれよ。。。

 

 

【イタリア行き機内(6時間)】

こっからの6時間も、先ほどと同様にアニメ鑑賞と睡眠が大半を占めました。一応原稿の暗記もしようとは考えたのですが、眠すぎて無理でした。。。

 

途中軽食が一回、ランチが一回出てきました。

 

 

【イタリア到着⇒ローマへ】

到着後、やはり緊張するのは入国審査だと思います。

 

ただ、日本人は写真のような改札を通るだけでした。

 

また、一応パスポートを係員に見せる場面もあるのですが、「Hello!」と言われてハンコ押されて終わりでした。大丈夫かこの国。

 

 

その後、特急でローマに向かいます。

1人14ドルのところ、4人だと40ドルのチケットがあることは直前に勉強していたので、それを購入しました。

どうやら、改札通過後、専用の機械で切符に刻印をする必要があるようなのですが、駅員に聞いたところ「やらなくていい」と言われました。

やらないと罰金と聞いていたのですが、意味わかんないですマジで。

 

 

そしていよいよローマのテルミニ駅に到着しました!

街並みが「ローマ!」って感じで感動です。

 

宿に到着しました。イタリア特有(?)のビデに感動。使いはしません。

 

夜は有志で集まってイタリアのカジュアルなお店へ。マルゲリータをほおばりました。

まあ普通にうまい。

とりあえず「イタリアでピザ食う」という実績解除をしたという気持ち。

 

その後、ついでにトレビの泉を見に行きました。

ついでに、という距離感で有名スポットに行けるのがローマのいいとこだなと。

歴史の背景知識があるともっと感動したんだろうなと思うのですが、世界史は退屈するのでなかなか手につきませんでした。。。

 

宿に帰った後は、気絶するように眠りました。さすがに長旅の疲れがドッと出ました。。。

 

次の日は日曜なので特に用事はなく、ぐっすりねむれました。

二度目の国際学会レポ ~出発まで編~【第0話】

現在2024年9月6日0時30分、ローマでの二度目の国際学会に赴く当日です。

 

今回も前回のシンガポールの学会レポ同様、数話にわたってシリーズ化するつもりですが、今回はできるだけ鮮度の高いうちにしたためていこうと思います。

 

【0-1】結局緊張する前日夜

前日昼は、研究室で発表練習会がありました。

これは留学生と准教授に発表をみてもらう貴重な機会です。そのため入念に準備をする必要があり、連日遅くまで研究室に残って準備していました。

 

準備の成果もあり、かなり良いフィードバックが得られました。ただ、スライドの細かな修正や原稿の一部の削除などいろいろと課題もでたため、安心はできない状態になりました。

 

結局このブログを書いている現在、スライドは完璧・原稿は九割・暗記は三割といった状態です。

 

今回、自宅出発は9月6日の18時45分なので、時間に余裕はあります。ただ、荷物もまとめないといけないので、心は休まりません。

 

とりあえず、早めに起床し(多分9時ぐらい?)、「原稿の調整」「データのコピー&アップロード」「最後の買い出し」「暗記作業」をしたいと思います。

 

【0-2】今回の不安事項

んで今回は何が不安なのか、考えうるものを書き出してみました。

  • 初めてのヨーロッパ
  • 長距離フライト(詳細な移動経路は後述)
  • 前回よりも権威的な国際学会
  • 3人一部屋

みたいなところだと思います。

初めてのヨーロッパ

まず、ヨーロッパは初めてなので、えげつない人種差別やロストバゲージなどが心配です。また、長期宿泊なので、うまく生活できるかも心配です。

長距離フライト

次に、今回以前の二倍以上のフライト時間というのがあります。

具体的には

京都駅19:30発⇒関西空港21:00着

関西空港23:45発⇒ドバイ国際空港4:50着(フライト時間10時間5分)

ドバイ国際空港9:10発⇒フィウミチーノ空港13:25着(フライト時間6時間15分)

です。

かなり長距離なので、絶対にトイレに行くことになるのですが、隣の人に声をかけたりできるのか(知り合いが座っててくれ!)不安です。

権威的な国際学会

次に、今回の国際学会はかなり厳しいというのを再三言われました。

前回のシンガポールの学会がJ3だとすれば今回の国際学会はJ1ともいわれてます。

ただ、だからと言って僕ができることは同じなので、とにかく暗記暗記暗記で、発表だけでも滞りなくやっていきたいものです。

 

3人一部屋

最後に、3人一部屋というのが怖いです。怖いというかいやです。自分の生活を知られるのが嫌ですし、ちょっと潔癖なのもそのつらさに拍車をかけています。

また、イタリアでの生活がちゃんとできるのかも不安です。食事はどうするの?洗濯はどうするの?わからないことが多すぎてつらいです。。。

 

【0-3】とにかく今はしっかり寝るだけ

ただ、今はもうしっかり寝るしかやることがないです。とにかくしっかり寝て、忘れ物がないようにしていきたいです。

明日(今日)の準備が一個目の山場、頑張ります。

 

【近況報告】修士一年後期前半振り返り

 

「後期前半」とかいう意味不明なタイトルお許しください。

 

弊学は10月から後期が始まるという二学期制を採用しております。ということで、10月から現在11月22日までの怒涛の日々を振り返りつつ、自身を賛美し、自己肯定感を上げていきたいと思います。

 

【四大イベント】

 10月半ばから11月半ばまでの約一か月間に、実に4つの大きなイベントがありました。以下がそれらになります。一個一個振り返ります。

 

 

奄美大島での現地調査】

 修士一年は「自主企画」という名の単位を取らなければならず、学生は「三日以上のインターンへの参加レポート」か「自身の研究とは異なる研究のレポート」を提出する必要があります。我々の研究室では例年後者を選択します。今年も例にもれず、後者の研究の一環で沖縄列島の島国へ現地調査をすることになりました(内容は割愛しますが、沿岸域の測量みたいなものです)。

 

 ホテルなどの手配などもありますので、準備は9月から進めていましたが、当日になっても大量の不安を抱えたままでした。以下がその主たる不安です。

  • 普段は教授が経験者兼運転手として同行するが、今回は参加できず、引率が未経験者になった。
  • 唯一の経験者が博士の留学生。ただ日本語は話せない。
  • 我々は全員英語が話せない。
  • したがって、何をすればよいかという具体的なイメージがつかめないまま当日に。
  • 同期が指示をしないと僕の求めるクオリティの仕事をしない。
  • なので、難しい機材の担当を引き受け、僕が全員に指示を出す立場になる。
  • 難しい機材はデータも取り出すのが難しい上、そもそも言うことを聞かない。サポートセンターも対応がずさん。

 特に唯一の留学生である学生は機嫌のアップダウンが激しく、想像通りにならないと態度に出て大変です。そういう面からも、晩御飯の場所や空き時間のレジャーも含め、様々なことを決めておきたいのですが、経験者がいないので見通しも立たず…という絶望的状況でした。

 こういった不安は見事的中し、空港でのいざこざなどで留学生の機嫌は悪くなる一方でしたし、初日と二日目は地獄でした。

 ただこれを地獄と感じているのはおそらく僕だけです。なぜなら同期はそういうことに気が回らない人間だから。

 

 相談もできず(初日の夜に引率の研究員に相談に乗ってもらいました)、ちゃんと十分なデータが取れているかもわからないというふわふわした状態のまま、このイベントは終了しました。

 久々に本当につらい時間でした。

 

【台湾での発表】

 10月25日~10月28日は台湾でゼミが開かれました。これには我々の研究室からほぼ全員が参加し、修士以上の若手中心で研究発表をしました。

 

 正直以前のシンガポールに比べ、外国に行く緊張感や発表への緊張は少なかったですし、研究発表の内容もほとんどシンガポールと同じでした。ただ、つらいポイントは主に3つありました。

  • 奄美大島から帰って(18日)すぐ準備をしなければならなかった。
  • この短い準備期間の間にシンガポールの学会の内容にプラスで何かを加える必要があった。
  • 英語の発表なので、原稿を再度覚える必要があった。

 特に一週間で何か研究成果を追加しろと言われたときはさすがに終わったと思いました。すぐに担当教員と相談し間に合わせましたが、担当教員にもたびたび質問しましたし、無理をかけたなという思いです。ただまあ、ふたを開けてみれば無事何事もなく終わることができたので、今振り返ってもいい経験になったなと思います。

 

 一応夜に少しだけ観光の時間もありましたし、いい旅になりました。

 

【横浜でのワークショップ】

 11月7日~11月9日は横浜でワークショップが開催されました。私の研究分野(に近い分野)の大御所先生が3人も同時に来日されるというお話を事前に伺い、「これは(知らない人たちだけど)参加しておこう!」と参加したものです。

 当初、先生方の講演を聞くだけかと思っていたのですが、登録してからポスター発表があると聞き、戦慄しました。しかも英語です。ポスター発表自体はじめてですし、ポスター発表は原稿を作成したら何とかなるものでもないので、口頭発表よりある意味質が悪いイベントです。なので、台湾から帰ってすぐにポスター作りに取り掛かる羽目になりました。

 

 ただこちらのワークショップは私にとって非常に身になるイベントになりました。特に、近い分野の研究者(修士や博士学生)とコミュニケーションをとって「あぁ、研究頑張ってるのは自分だけじゃないんだな」と実感したり、様々な方が自分の研究に興味を持ってくれているところを肌で感じたりしたことで、研究へのモチベーションが爆上がりしました。博士進学確率が2%から10%に増加しました笑

 

 準備は苦しかったですが、参加してよかったなと切に感じています。

 

【京都での学会】

 ここまで怒涛の日々を送ると、自分の中でもレベルアップした実感がありました。なので、この学会もかなりフォーマルで研究人生の中でもかなり大きなイベントの一つなのですが、「日本語の学会」というだけでかなりハードルは低くなっていました。

 

 11月15日から11月17日まで三日間に及ぶ大きな学会ですし、スタッフとして朝から働きつつ、自身の発表の準備もするというのは非常に体力的に苦しかったですが、特に大きな事故もなく無難に終えることができました。この結果は大きな自信につながる結果です。というのも、普通の大学生なら「一年で最も大きな超えるべき壁」のような場所を、片手間で(もちろん全力で準備しましたが、精神的な意味で)終えることができているというのは、研究者レベルが上がっているからだと思うからです。

 

 自身のレベルが上がったことを実感したことで、より研究へのモチベーションも上がりましたし、「これが人生で進むべき道だな」という納得感も得られました。

 

【おわりに】

 実はこれらの準備と並行して、もう一つやっていたことがありました。そう、就活です。夏に逃げていた分、この期間に冬インターンの申し込みをしなければなりませんでした。就活については別途語りますが、無事一つインターンに合格しましたし、先ほども述べたように、歩む道のようなものも明確になったので、就活についても進歩が大きかった一か月だっとと感じています。

 

 ひと段落ついて、研究と就活に専念できる時期になったので、せっかく灯った心の火を絶やさないようにしていきたいなと思っています。

 

 長々と文字ばかりすいませんでした。(画像を乗せると特定されそうな具体性の話だったので…)

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第3話】

【3-1】発表当日

 いよいよ発表の日になりました。

 この発表のために、受験期でさえやらなかった英語の勉強もずっと続けてきました。授業もある中必死に準備しました。この苦しい4か月を早く終わらせたいという気持ちでいっぱいでした。

【3-2】朝食はなし、会場に到着

 実は、しれっとこの日は朝食なしでした。先輩が「食べなくていいんじゃない?」と言っていたのが大きな理由ですが、正直僕も「食べる時間があるなら準備したい」と感じていたでしょうし、これでよかったと思います。

 前日コンビニで買っていたチョコパイをほおばって、ホテルを出ました。

 

 会場には7時半に到着しました。かなり早いですが、開始が8時15分なので仕方ありません。

 会場は昨日の下見の時とは違い、しっかり準備が整っていました。部屋ごとに、正面には登壇者用PCとチェアマン用の席、プロジェクターがおかれていました。席はざっと150以上はあったと思います。びっしり並んだ空席をみて、これから登壇するという実感がぐっと湧いて、震えが止まらなくなりました。落ち着きが無くなったといった方がいいかもしれません。

 

 

 続々と参加者が入室してきました。我々の先生や、他大のよく知る先生、その生徒など、日本人も非常に多かったのですが、日本人同士以外はほぼ英語で会話が繰り広げられていたので、とても肩身が狭かったです。

 他大の生徒の方とも話すのですが、両者とも今日発表なので、どこか会話に100%集中できていない感じでした。正直この「話す相手がいないけど一人で座ってるわけにもいかない」みたいなふわふわした状況もかなりしんどかったです。

 

【3-3】ほかの人の発表が始まる、ひたすら出番待ち

 8時15分、発表が始まりました。ここからはひたすら出番待ちになります。僕の出番は11時50分、めちゃくちゃ後半です。この約3時間半のあいだに、先輩方の発表も入っています。

 ここで、僕のとれる選択肢は2つありました。一つ目は、「会場を出て適当なスペースで発表の練習をする」、二つ目は、「ひたすら自分の出番までほかの人の発表をきく」です。僕は後者を選択しました。というのも、やはり発表の雰囲気がわかっていないと、自分の発表が浮いてします可能性があるからです。

 発表を聞いていると、二つ良い事実を見つけました。一つ目は、意外と質問を聞き取れなかったり、英語のコミュニケーションでトラブルがある人がいるということです。日本人学生はもちろんですが、他の国の人でも「Sorry, I don't follow you」と言っていたりして安心できました。二つ目は、プレゼンの最初に笑いをとっている人なんてほとんどいないということです。先生から事前に「最初に笑いをとるものだ」と吹き込まれていたのでそれが当然なのかと思っていましたが、全くそんなことはなく、まじめな発表ばかりでした。

 ですが、そういう安心はありつつも、この3時間半は基本苦行でした。自分の発表の心配で手いっぱいになり、他人の発表なんて聞けるはずもなく、(ダメなことなんですが)ずっとスマホでカジノの記事を見ていました。

 

【3-4】闇に電流走る

 のこり1時間半ほどになってきたところでふと、一つのアイデアが浮かびました。それは「意外とカジュアルな学会なので、最初に『英語できないんですよ~』と言っておけばうまくいくのではないか」というものです。雰囲気を良くしておけば、暖かいムードになって、仮に質問を聞き取れなくて焦ってしまっても大丈夫な雰囲気になるのではないかと考えました。

 そこから1時間、前口上を必死に考えました。最終的に考えついたのは「私は修士一回生です」「多分このセッションで僕が一番若いです」「お手柔らかにお願いします」という案と、「私は修士一回生です」「この発表が人生で最初の発表になります」「優しくしてください」という案です。これをぐちゃぐちゃとミックスしようと画策しました。

 

【3-5】いよいよ出番が

 ついに私の出番がやってきました。壇上に立つと、案の定多くの人が座っているのが目に入りました。声が震えたりはしなかったと思ってたのですが、あとから録音していた発表を聞いていると、最初めちゃくちゃ震えてました…。檀上での足の震えが尋常じゃなかったのだけは覚えています。

 開口一番、紹介してくれたチェアマンにありがとうと伝えた後、こう切り出しました。

 「I'm ~~ from Kyoto University Japan.」

 「I'm the first grade of master」

 「This is my first presentation in my life」

 「So please be kind to me or please be gentle」

 この「in my life」のところで爆笑と温かい拍手が起こりました。その後の「kind to me」のところも笑いがおこり、即席の作戦は無事成功しました。

 

 そのあとは覚えていた原稿をすらすらと言っていくだけでした。どうしても覚えられなかったところもあったのですが、持ち込んでいた原稿を読んで乗り越えました。

 

 質問は結局その場では意味がわからなかったのですが、同行していた同じ研究室の留学生に「ここのスライドを説明すればいいんだよ」と声をかけてもらえたので、何とか乗り切ることができました。

 後々質問の内容を聞くと、あまり日本語でも説明できなかったところでしたので、仕方ないと思って割り切っています。

 

 発表が終了した後、その質問者の方がもう一度私のところにきて、懇切丁寧に疑問点を伝えてくれました。うれしかったのですが、その一方で、英語ができなくてすみませんと心底思いました。

 

【3-6】解放飯

 4か月の苦行から解放された後の昼ご飯は大事ですよね。僕と同期と一緒に日本食を食べにいきました。選ばれたのはまぜそばでした。

 

 後ほどまた触れるかもしれませんが、シンガポールってめちゃくちゃいろんなところに日本食や日本語があるんですよね。天丼や海鮮丼など、けっこう選び放題でした。

 日本ではめったにしないのにサイドメニューも頼んだりして。

 満喫しました!

 

【おわりに】

 今回の発表、私は大成功といってもいいと思います。英語ができない割にはよくやったと。やればできるんだという自信にもつながりましたし、日本の学会なんかこわくないという無敵感も手に入れました。

 その一方で、英語ができないことで、いろんな人と交流する機会を失ってるなとも感じました。義務感ではなく、危機感として「英語やらなきゃな」と思える発表になりました。

 

 何はともあれ、いったんは解放されたわけで、ここからは120%観光になります。次回は訪れた観光地を写真とともにダイジェストでまとめたいと思います!

 

 

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第2話】

【2-1】二日目の始まり(発表まであと一日)

 二日目が始まりました。ツインルームなので起床時刻は同部屋の先輩に合わせていましたが、特にストレスはなかったです。確か八時半か九時かに起床しました。

 

 この日の予定で決まっていたことは、「会場を視察すること」「会場で登録を済ませること(三時~五時の間)」「夕食をこの日に合流する先生ととること」だけでした。つまり、原稿を何も覚えてない状態で、準備にどれほど時間がかかるかもわからない中、原稿準備以外の予定が盛りだくさんという状況でした。

 

 一応同じ部屋の先輩も発表の日がかぶっていたので、「どっかで発表の準備したいですねぇ」とやんわり言っていたのですが、具体的にどこで何時間できるのかわからず、朝から不安でいっぱいでした。

 

 会場視察は徒歩で向かいました。京都ほど暑くありませんでしたが、湿度が高いため不快感はそれ以上でした。

 

 

【2-2】会場視察終了→朝飯→ホテルで缶詰め

 会場視察は意外とあっさり済みました。というのも、まだ設営段階で、入ったりできるところがなかったからです。

 

 その後、「Ya Kun Kaya Toast」というところで朝食をとりました。後から知ったのですが、先生曰くシンガポールにしかないのでオススメとのこと。

 余談ですが、ここで現地のおっちゃんに絡まれてインスタとフェイスブックを交換し、いろんな話をした後、「観光地に車で連れてってあげるよ」という約束をしましたが、怖すぎたので色々理由をつけて後日断りました。車は怖すぎますって。先輩がいてよかった。

これがAセット。何が挟んであるかはあんまりわかりませんでしたが、まあまあおいしかったです。卵は卵でした。

 

 その後は一度戻ってホテルで作業タイムに入りました。この時間、今振り返ると3時間ぐらいなのですが、非常に集中できまして、とてもいい時間でした。この時間でほぼ、原稿の修正や暗記ができたという感じです。先輩も「めちゃくちゃ集中できた」とご満悦でした。よかったです。

 ただ一点課題だったのは、どう修正しても15分を超えてしまうところでした。言いよどみやフリーズしてしまうことろが多いのが原因です。最終的に練習や原稿の修正でカバーしましたが、この段階ではまだそれが不完全でした。

 先輩はここには映っていないデスクで、僕は手前のベッドで作業しました。まじで今年一の集中叩き出しました。「ホテル缶詰+誰かが同じ空間で作業している」という環境が良かったのでしょうか。今後に生かせそうです。

 

 

【2-3】遅めの昼食は大ギャンブル

 さて、三時頃になり、登録のためにもう一度会場へ向かうのですが、その前に遅めの昼食をとろうという話になりました。そこで立ち寄ったところが、地元民が利用するフードコートのような空間でした。

 

 シンガポールの町並みはおおむね非常にきれいなのですが、ここはザ・東南アジアといった汚さで、正直発表前に利用するには気が引ける場所でした。

 魚のスープの店に決めたのですが、並んでいる途中、床に置かれた汚水(多分消毒液)の入ったバケツから大量の皿が取り出され、床の上のどろっどろのタオルの上に置かれるというところを見てしまいました。

 味自体は悪くなかったのですが、これを見てしまったので、全然のどを通らなかったです。


【2-4】登録のためにもう一度会場へ→観光!?

 登録を済ませ、参加証を受け取り、このあとホテルへ帰るのかなと思いましたが、先輩は「このままマーライオンを見に行く」とのことでした。僕もめちゃくちゃ迷ったのですが、これからほぼ行動を共にする先輩がこのタイミングでマーライオンを見に行くということは、他のタイミングではもう訪れないということになります。ホテルに戻って準備をしたい気持ちをぐっとこらえ、先輩についていきました。

 

 あとから聞いたんですが、マーライオンってがっかりスポットらしいですね。ただ僕は「はぇーデケェー!」ってなったので純な心の持ち主なのかもしれません。

 札幌時計台に比べたら、これぐらい全然がっかりじゃないですよ…

 

【2-5】夕食後、最後の追い込み

 夕食は特に何のイベントもなく終了しました。ただ一人40ドルは高いです…割り勘なのかよ…

 

 何はともあれ、無事ホテルに戻って、最後の追い込みにとりかかりました。同居人の先輩にも「準備をしたい」と伝え、快諾していただけたのがよかったです。先輩が寝たいのに自分が起きて勉強するわけにはいかないのでね…

 

 心底思ったのですが、先輩が同日発表でほんとによかったなとおもいます。そうじゃないと色々大変だったと思うので…

 

 0時ぐらいまで作業した気がします。10分におさめるために何度も修正・反復しました。

 

【おわりに】

 この日にも強く思ったのですが、自分は「この時間に自分が何をやっているかわからない」という状態がかなり嫌だということに気づきました。きっちり予定を決めておく必要はないのですが、この日はこれとこれを何時ごろにするというのが決まっていた方が、準備の時に安心だったなと思います。

 僕がM2になったら、もっとそういったことを先生などにはっきり聞きやすくなると思うので、以後は事前に調べていきたいと思います。

 

 次回はいよいよ発表編です!