さっきぃの休息所

大学生になり、今までの生活が一変する中で、自分が感じたことや悩んだこと、経験したことなどを綴っていきます。

”何かが足りない”周りの人たち

 

 僕自身、今まで人並みにいろんな人と会ってきました。その中で、すごくモヤっとしたり、理不尽に感じたことをここらでまとめようかと思います。

 

【Case 1】会話ができているようでできていない人

 普段の何気ない会話って、意外と潜んでいるものなのだなと感じた話です。会話って、例えばなにかトピックがあった場合、そのトピックについて話していきますよね。例えばこんな感じ。

A「そういえば昨日〇〇ってことがあったんよ」

B「え、それ××なんじゃない?」

A「そうそう、やからめっちゃ困っちゃって」

B「大変やなぁ」

 普通の会話です。でも最近、人とこういうキャッチボールが成立したときにすごくうれしい気持ちになります。というのも、キャッチボールに見せかけ、ボールを変えて投げ返してくる人がいるからです。例えばこんな感じ。

A「そういえば昨日〇〇ってことがあったんよ」

B「あるな。俺も先週××やったわ」

A「あ、そうなん先週忙しかったから困ったんちゃう」

B「そう」

 ボールを変えて投げ返してくる、の意味をご理解いただけたでしょうか。Aの話したいトピックは、Aの一言目で終わるわけではありません。これを奪って自身のボールを投げてしまうのは、コミュニケーションに似て非なるものだと思います。

 

【Case 2】人への配慮が足りていない人

 配慮といっても、ここでは言葉の配慮の話です。このままでは抽象的なので、例を2つ示したいと思います。

 例えば、人が繊細に感じている部分に頻繁にズカズカと入ってしまう人です。「このことについて触れてほしくない」といういわゆるコンプレックスと呼ばれる部分は、だれしも多かれ少なかれあると思います。僕も鬼ではないので、「そういうところをすべて配慮して話せ」とまでは言いません。その人にしかわからないコンプレックスもあるでしょうし、完全な回避は不可能です。ただ、僕は「日頃からそういう発言に自分がさらされることに関してはひどく敏感なのに、人にはそういうことを平気で言ってしまう人」が嫌なのです。今パッと浮かぶ人が2人いるのですが、その人たちからは、モノを多角的に見れていない感じが発言の節々に感じられ、いつかひどい切り口で自分が傷つけられるのではいかというある種の恐怖を感じます。同じ繊細人として、繊細な人にも寄り添える人になりたいものです。

 もう一つの例は、利他的な行動や言動をとれない人です。これは自分の一つ先輩にあたる人の話です。僕は研究室に入って、「研究生活はどういったものなのか」がわからず、いろんな先輩に話を伺っていた時期がありました。また、研究関連のお金に関することなどで、入ったばかりで何も知らないにもかかわらず、情報の共有が全くされないという事態もありました。こういったことから、「研究室生活年間スケジュール」の作成を提案し、自身でB4の分を仕上げ、今後の後輩のために情報を落とす取り組みを始めました。幸い2個上の先輩はそれに賛成してくれたので、M2版のスケジュールも作成していただけました。残るはM1版だけなので、これの作成を1個上の先輩にお願いしたときです。以下、その時の会話です。

僕「先輩、M1版の年間スケジュール作ってほしいんですよ、僕今年どういう生活するのか知りたくて。後輩もあれば助かると思うんですよねぇ」

先「いやぁ、僕はいらないと思うけどね」

僕「そうですか?」

先「うん、だって聞けばよくない?」

僕「いやだって去年忙しそうで『俺には聞くな』って感じだったじゃないですか」

先「だねぇ、正直プログラミングの質問とか、聞いてほしくなかったよね」

正直、絶句でした。そもそも、口頭で聞いたとて、正確な情報を提供してくれる人はいませんでしたし、「聞けばいい」と思っているのも驚きでしたが、それ以上に「自身は聞いてほしくないのに『聞けばいい』という言葉が簡単に出てくること」、そして「『本当は聞いてほしくなかった』というようなことを軽々と言えること」に引いてしまいました。

 これを聞かせて、僕にどうしてほしかったのでしょうか。その場では軽く笑って流しましたが、ちょっと悲しくなってしまいました。悪気はないしいい人なのはわかってるんですけどね…

 

 少し話は逸れますが、こういう「少し変で少し人を不快にする人」は大学周りの交友関係に特に多いです。感覚では、大学周り>高校周り>>>その他という印象です。いかに自身が特殊な環境に身を置いていたかが、年々わかるようになってきました。

 

不快を”不快”で終わらせない

 こういった話を愚痴のように書き記し、そのまま放置するだけでは、彼らと同様の人間に成り下がるでしょう。この不快感を冷静に振り返り、自身の言動を見直す機会にすることが重要です。会話が終わった後に一人反省会をするのは暗い人にありがちなこと、とよく聞きますが、その反省が他人を不快にしない会話につながるのなら、僕は良い営みだと思います。一つ一つの積み重ねが、人を人たらしめるものの一つなのですから。