さっきぃの休息所

大学生になり、今までの生活が一変する中で、自分が感じたことや悩んだこと、経験したことなどを綴っていきます。

センチメンタルの因数分解

 僕は、ニコニコ動画が好きでした。

 

 中学時代買ってもらった3DSは、僕のネットへの入り口であり、僕をニコニコ動画へ誘ってくれた宝物でもあります。

 

 当時は中学生がスマホを持つということはあまりなく、ネットは少し大人の世界という印象でした。そんな中、僕の手元には3DSがやってきました。はじめはソフトを購入していろいろなゲームをしていたのですが、中学2年にもなると小学生の時のように熱中できるゲームがなく、すぐ飽きてしまいます。そんな中出会ったのが、3DSに実装されていたニコニコ動画でした。

 

 話はそれますが、3DSニコニコ動画は子供用のため、過激動画は除外され、Webのニコニコよりも簡易的な作りになっていました。しかし、そのおかげで「ランキング」や「おすすめ動画」などへのアクセスがしやすく、良動画に巡り合いやすい設計だったと思います。

 

 最初は新しいものへの興味で「ニコニコ動画」を開けましたが、僕はそれがもつ魅力にどんどん引き込まれていきました。

 

 まず、「歌ってみた動画」。今でこそ歌ってみたはメジャーな文化として浸透していましたが、当時はニコニコで最盛期を迎えた頃合いでした。ボーカロイド曲を作る人、歌を歌う人、動画を作る人、絵を描く人、ミックスをする人、楽器を弾く人…各々の「得意」が合わさり、小さな文化を温めていく。この「生みの美しさ」に惹かれていったんだと思います。

 

 そして「ゲーム実況動画」。これも今や大人気コンテンツですが、この頃は「収益」などは考えず、本当の「楽しい」がありました。現在、人気の実況者はこぞって動画の再生回数でお金を稼いでいますが、この時代の動画は、プレイヤーがそのゲームを心から楽しみ、それを視聴者がコメントで応援するという、「友人の家で友達のプレイを見ている感覚」が染みついていました。

 

 また、数々のネタ動画、ネタタグも、僕の興味を掻き立てました。秀逸なネタの数々は、動画を彩るだけでなく、「これを、画面の向こうにいるみんなで共有している」という一体感を生んでいたと思います。

 

 そのほかにもたくさんのコンテンツが僕をニコニコ動画に引き入れてくれたのですが、共通して言える魅力は、「ニコニコ動画という狭いコミュニティを、本当にネット文化を愛す人が育んでいる」という環境だと思います。これが、Youtubeとの大きな違いであり、ニコニコの素晴らしい点だと思います。

 

 

 と、ここまで書いてきましたが、実は似たような記事を僕は下書きに貯めていました。タイトルは『時折訪れる、「あ、もう昔には戻れないんだな」感』。簡単に記事の内容を言うと、「ラジオが昔から好きだが、好きなDJ がいなくなってしまい悲しくなって聴くのをやめた。けどラジオは好きなままだ」というものでした。

 

 俗に「センチメンタル」とか「感傷的」とか、そういう言葉で片付けられるものだと思います。でも、なんかそれってあまりに寂しいと思いませんか。

 

 「なんでこういう気持ちになるんだろう」「なんで昔はこんなに熱中していたんだろう」「なんで一度離れてしまったんだろう」「なんで今のものでは昔のように熱くなれないんだろう」…

 その「センチメンタル」や「感傷的」といった感情に「なぜ」をぶつけて、「自分が本能的に好きなもの」を紐解いていくことが、この先の「好きなモノ」に出会うためには必要なんじゃないかと思います。

 

 人生って難しいですね(笑)